サフラ (Zafra)
カステリャール山脈の洞窟の中にピクトグラムが発見されていることから、先史時代から定住者がいたと推測されている. 近郊のベレン礼拝堂では青銅器時代の砦が発見されている.
サフラ周辺地域では、伝説的なセゲダ(現在のサラゴサ)を思い出させる古代ローマの別荘が多くあり、これがサフラの町の元となった.
中世、サフラはセビーリャとバダホスの封土に二分される境に位置した. 1030年、カステリャ山脈に防御的砦が築かれた. この砦は、1094年にムーア人の地理学者アブー・アブダッラー・アル=バクリによってサイラ・アビ・ハッサン(Sajra Abi Hassan)と名付けられていた. アラブ人たちは町をサフラ(Safra)またはカフラ(Cafra)と名付け、これが現在のサフラの名称へと発展した.
レコンキスタ時代には1229年にいったんはレオン王アルフォンソ9世によって解放され、再びアラブ人に奪取されるものの、最終的にフェルナンド3世が占領した.
エンリケ3世がサフラをゴメス・スアレス・デ・フィゲロアへ授けたことで大きな変化が訪れた. ゴメスは王妃の侍従であり、サンティアゴ騎士団長の息子であった. ゴメスの子ロレンゾは、サフラを自分の封土の中心地とした. 彼は防衛目的で城壁を築き、近隣の自治体、商人、旅行者を保護した. 城壁の建設は1449年まで続いた. 1437年、ロレンゾは市で象徴となる建物エル・アルカサルを自邸として建設するよう命じた. 加えて、ロレンゾはサンティアゴ騎士団の病院を興し、クラリサス・デ・サンタ・マリア・デル・バーレ修道院を、一族の霊廟とするために創建した. 1460年、エンリケ4世はサフラを県と同地位の地区とし、ロレンゾにアルコネラとラ・モレラの村を封土として授けた.
16世紀と17世紀、市は近代化された. 例として、アルカサルがオーストリア風に改造され、新たな教会が完成した. この近代化全てが、5代目のフェリア伯ゴメス3世・スアレス・デ・フィゲロアが、フェリペ2世時代に国に貢献した褒美に1567年にフェリア公に格上げされた時代に行われた.
17世紀、フェリア公領はプリエーゴ侯領と統合された. 18世紀には、プリエーゴ侯領はメディナセリ公領にまとめられた.
サフラは、周辺の農業地帯に対して、常に工業と商業の都市である. 商業の基盤は祭りで、1395年以来続く聖フアン祭、1453年以来の聖ミゲル祭が行われている.